密吉の備忘録

一向に整わないところで

うまく言葉に表すことができないけれど留めておきたい殴り書きエトセトラ

我が家の近所には四季折々の木花が植えられている。春には桜、夏には百日紅、秋には銀杏と金木犀、そして早春には梅。気が付けば3月。梅の花が満開となり、桜のつぼみが膨らんできた。

どこに行っても、桜は桜であり、美しい。ここでも、私は桜を美しいと感じることができる。場所が変わっただけで私は何も変わらない、大丈夫だ、と見知らぬ土地で一人歩いて買い物に出たあの日。そこから約1年が経過しようとしている。

先日、やっと都合がつき、父母が我が家にやってきた。帰省などで時々会えてはいるものの、諸々の事情で我が家に来ることができるタイミングを逃していたのだ。「最初、本当に大変だったでしょう。よく頑張ったね。」と母にしみじみと言われた時、その時は大変だったよ~と笑い話で終えた。母も父の単身先に行ったこともあり、大変だったのはお互い様だと思っていたからだ。

しかし、父母が帰った後にその言葉をまた思い出す。今までも「頑張った~」とは思っていても、どこか腑に落ちないというか、嘘ではないけれどそうやって自分を自分で褒めてやり過ごしている感じがあった。SNSでもよく「偉い!!!」とつぶやくものの心はわびしいまま。でも母のたった一言で、ああ、私は頑張っていたんだ、去年の自分、頑張ったんだ、頑張ったんだね、偉いよ…とやっと自分で自分を認めることができた。結婚して幸せなのは事実だが、生まれも育ちも違う人と一緒になり、そんな綺麗ごとだけで1年間を過ごしていない。自分だけでなくパートナーもきっと苦しかったと思う。でも、その度に下手なりに話し合いを重ね、二人で生きてきた。こうしてやってきたことが間違いじゃなかったのかな、となんとなく報われた気がした。身近な人から認めてもらえることはこんなにも温かく、沁みるものなんだなぁ。

親はきっと自分達がすぐ側にいなくてもなんとか生きている娘を見て、ホッとしたような複雑なような、恐らく様々な気持ちが混在しているだろう。でもまだまだ頼ることはたくさんあるし、教えてもらいたいことも山ほどある。でも、生み育ててくれたあの幼き頃の親子関係とは少し変わってきた。分かち合えるものは分かち合い、頼り頼られ、新たな形、というのも盛っているし変な話ではあるが、なんだか大人の関係性を築く年齢になったんだなと。親にとっては子はいつまでも子、というのは揺るがぬ事実ではあるけれど、今回来てくれたおかげでまた自分の中で何かが進みだした気がする。でも、それが何なのかはまだ分からない。

という訳でまあ、始まりもなければオチもないし、うまく言葉に表すことができない。でも、この気持ちを留めておきたいと思ってPCを開いて殴り書きをした。他人様からするとたかが1年と思われるかもしれないし、たった一言と思われるかもしれない。でも私にとってはとても大きな1年で、この先もずっとずっと大切にしたいものなのだ。

そして、いくつになっても桜が咲くたびに25歳の自分を懐かしく思い出す気がしている。過去の自分と今の自分は違うけれど、共存していて、今の自分は過去の自分に見守られながら生きていて、過去の自分は今の自分に見守られながら生きている気がする。だから、25歳の自分を思い出した時には何度でも「大丈夫だよ」と背中をそっと押してやろうと思うし、25歳の自分には今の自分を見て安心できるようにしてやりたい。まあ、コイツほんま大丈夫か?と思わせることももあるだろうけどそれはそれでヨシ。

TOP