密吉の備忘録

一向に整わないところで

12/28-1/3の日記

12/28

明日からの帰省に備え、野菜モリモリの水炊きをつくり、冷蔵庫の中身をスッカラカンにした。大掃除も終わらせたし、水回りは撥水コーティングもして最強の仕様に。帰省から帰ってきて、家が汚いと超絶萎える人種なので、未来の自分(の心)を救うためにピカピカにしてやった。絶対自分に感謝するだろう。ちなみに、普段はパジャマを抜け殻にする人種。帰省や旅行前、来客前、心がざわつく時だけ本気を出す。

12/29

冬の富山に初進出。北陸新幹線の自由席は満席で見事に2時間立ちっぱなしだった。群馬まで高速を利用しても(義理実家に帰りに寄るため車で群馬まで出ている)合計4時間ほどで着くものだから、岡山に帰るよりは相当楽。ありがたい。
雪国に足を踏み入れて興奮気味の私の横で、澄ました顔をして「寒い」と夫はつぶやく。「雪国では雪だるまが見つからない」という世紀の大発見をした妹の言葉通り、どこを歩いても本当に雪だるまが見つからない。26歳児の私がつくってやろうかと思ったが、大人げないと思ってやめた。本当はつくりたかった。
今夜は母が氷見のぶりをさばいてくれたので、家族で頂く。この世にはまだまだ自分の知らない美味しいものが溢れている。

12/30

雨晴海岸に行く。ここはいいな。地元の人間として生まれても、何度でも訪れたくなるような場所だと思う。そして、相変わらず雪が楽しすぎる私は、展望テラスに積もった雪に足をズボズボと埋めて満足した。
夜はせっかくあんこう鍋・フグ鍋を用意したというのに、父が眠り姫と化す。走りすぎ、飲みすぎの末路。せっかくだから、寝ている父も入れて悪意ある家族写真を撮っておく。シュール極まりない。2022ベストショット。
久々に餅も丸めた。年末感。

12/31

エビ天を買いに行ったついでに夫と古城公園を散歩。ところどころ紅葉が雪の上に散っていて秋と冬が一緒くた。もう少しのんびりと回りたかったのだが、一瞬にして天気が変わった。二人とも見事に濡れ鼠。北陸の洗礼を受ける。母に絶対傘を持っていけと言われていたのに、すっかり頭から抜け落ちていて傘を持っていかなかった。このスカポンタン
年越し15分前、父がそわついていると思ったらクラッカーを買っていることに気が付いた妹。0:00に鳴らすらしい。ここはどうぶつの森世界線なのかもしれない。

1/1

クラッカーを鳴らして年越し。アイスが食べたくなり、セブンイレブンに散歩。これが私たちのスタンダードなのだが(クラッカー以外)初めてこの賑やかしい家族と年越しをする夫には物珍しいものであっただろう。よく付き合ってくれたと思う。
朝目覚めると、クラッカーのキラキラの残骸で妹が机上に「あけおめ」と文字をつくっていた。これも我が家のスタンダード。
これにて富山帰省は終了。ネタが尽きないので割愛。

群馬に向かうと、パパの友達がお家に集っていて突然の異国情緒。そんな2023の始まり。土産のマスの寿司やビールをたらふく頂き、就寝。

1/2

群馬の雑煮はしょうゆベースでけんちん汁のように具沢山だと知った。ごぼう・里芋・人参・大根・こんにゃく…と野菜や材料に味がしっかりと沁みていてとてもおいしい。そして何よりちりばめられた三つ葉がお汁にとてもよく合う。家に帰って雑煮をつくる時、どんな雑煮にするか迷ってしまう。二人の母の雑煮の中間をとり、我が家らしい雑煮をつくりたい。研究が必要だ。
今夜は夫が友人に会いに行くので、パパママと3人飲み。ピザをとり、ワインを開け、落ち着いたひと時を過ごした。

1/3

洋麺亭という有名なパスタ屋に初進出。一口食べると、愛される意味が分かる。パスタは飲み物という新概念を(勝手に)手に入れた。今日で帰省も終わり。自分のお布団がそろそろ恋しくなってきた。
高速道路から日立のエレベーター試験場が見えると帰って来たという気持ちになる。そして、あのオンボロ社宅がいつの間にか自分の帰る場所になっていることに気が付く。母が春に「自分の家族と住む場所が不思議といつの間にか家になるのよね」と言っていた意味が分かるようになってしまった。実家は実家で安心する場所だが、今私が寝たいと思うのはあのオンボロ社宅の畳の床。自分はもう昔の自分ではなく、変わってしまったと思うと少し凹むような、寂しいような気持ちになる。人間はこれからもこうやってアップデートを繰り返して生きていくんだろうな。その中で変わらないものって何なんだろうなとか考えたり考えなかったり。とりあえず、雪ではしゃげるというのは26年変わっていなかったことだけが事実。

p.s.

12/28の自分よありがとう。最高だぜ。

 


雨晴海岸にて

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