密吉の備忘録

一向に整わないところで

プッチンプリンに懺悔しなければならない話

12月25日

パート帰宅後嫌な予感がして体温を測ると39.1℃

/(^o^)\

12月26日

先生「インフルエンザA型に陽性反応がでました」

私「/(^o^)\」

25日から一応、夫と私は別室で生活。場合によっては仕事にも支障をきたすぞ…と(こんなご時世だし)ボスに連絡も入れていたが、結局ご迷惑をお掛けすることに。

クリスマスに!!!!!
サンタは!!!!!
インフルを!!!!
もってきた!!!!

シャンシャン…哀

次の出勤までにするはずだった大掃除ラストスパートも延期。ただ、その大掃除のために除菌ウェットシートを購入していたことだけは本当に助かった。トイレに行くたびにサッとドアノブやら簡単にお掃除ができたからだ。まあそんなことはどうでもよくて、連日39℃を越える高熱のため夜は全く眠れず、28日の昼頃やっと解熱しぐっすりと眠れた私。今回初めてゾフルーザという薬を頂き、昔はタミフルだったな~ところでどんなものかな~と解熱後に(めまいがするからスマホの画面を長時間見れなかった)Xで皆さんの反応を追っていると「翌日に下がった!」「すげえ!」「進化してるな…」というご意見が多く、え????私は…私は…わたし…は???なぜ???え???となったことは言うまでもない。

鼻やのどがおかしいので、味覚はどうしても変な感じであるがやっと食欲も戻ってきた29日。普段キッチンに立つことが少ない夫が一生懸命つくってくれるご飯を噛み締め終え、そうだ!と思い出した。初日に夫に購入をお願いしたプリンがあるじゃないか!と。

なお、私はオハヨーの焼きプリンが好きなのに
夫がプッチンプリン買ってきてたのは目を瞑っていた。←重要

やっと食欲も出てきてあの甘いプリンを食べる気力があるかもとちょっぴりワクワクして冷蔵庫を開けると・・・

ない

NAI…

夫に「もしかして…」とふすまの隙間からごにょごにょと聞いたら「あッ…」と青ざめた顔。自分のも欲しかったら一個買うんだよって言っていました、わたくし。あッじゃないのよ。笑 なお夫の名誉のために書いておくが、普段はちゃんと一個だけどこれ食べていい?って聞いてくる人である。実は夫も体調を少し崩しつつの私の看病だったため(夫は熱も出ず多分疲労によるダウン)買い物も満足に行けずお腹が空いていたのだろう。

食べられたことに関しては、自分も調子悪いのに頑張ってくれていたし、腹も減るだろうし買ってきてくれたのに私が食べずに放置していた(正しくは食べられなかった)ことも悪いと思っていた。だから食べられたことに関しては特に何も思わず、あぁ…とそそくさと布団に戻ったものの、静かに怒りの感情が沸いてきた。

「…なぜ夫はプッチンプリンを買ってきたのか」と。

おもしろすぎるんだが、熱に数日うなされた私に論理的思考はなかった。なんだか急激に虚しくなって、布団から起き、再び夫のいる居間のふすまをそっと開けて胸の内を話した。

私 「食べちゃったものは仕方ないし全然怒ってない。もちろん、オハヨーのプリンとかなんか安いプリンでいいからプリン買ってきてほしい…ってラインでお願いした私が悪かったよそりゃ。関東にオハヨーの焼きプリン絶対置いてるとは限らないけど(ヨークベニマルにはある)オハヨーのこんがり焼きプリンって商品名言えばよかったよね。分かってる!分かってるけど!!私は熱の時にオハヨーの焼きプリンを母に買ってきてくれるのが幸せだったと何回も!!君に話をしたはずだ!!!ねえ!!!私のこと愛してくれていて、毎日のようにかわいいね、かわいいね、って言ってくれるけど!!!所詮私のことは!!!マスコットか何かのかわいいにすぎないんだろ!!!どうせ!!!!私に!!!!興味なんて!!!ないんだ!!!!!ないんだああああ!!!!(※実際の勢いは体調も悪く1/4程度だが心の中ではこのくらいの勢いだった)(※2 数日熱にうなされた私に論理的思考はない:再掲)

そして、ヒートアップした私は、ついに夫に言ってしまった。

あとね!!

わたしにとって!!!

プッチンプリンは!!!

プリンじゃない!!!!(ベソベソベソベソ…

いや、まて、最悪すぎるだろ笑
プッチンプリン製作者の皆様と愛好者の皆様、本当に申し訳ない。

結局、また元気になったら焼きプリン買ってねと話がついて終了したのだが、冷静になって思い出すと絵面が凄すぎる。27歳の大の大人が泣きながらプリンについてベソベソしつつ一生懸命ふすまの隙間から訴える姿。普通じゃねえよw

Xでこの話をつぶやくとフォロワーさんたちに「わたしだったら大爆笑していたかもしれない」「気持ちも分かる、でも笑いながらみてた(ごめん)」(※要約済)などと言われ、母にも「面白すぎるし、私たち世代はプッチンプリンは革命的だったんだよ笑」と言われる始末。ごめん。いや、にしても夫はこの決死の訴えによく付き合ってくれたな。

そんなこんなで無事発症後5日、解熱後2日。ピッタリ大晦日。クリスマスから大晦日までワープした気持ちだった。買えていなかった鏡餅が大安売りで手に入りホクホクし、ミニおせちを仕込み、年越しそばをつくり、なんとか年越し。

ただ、2023年の年の瀬、プッチンプリンをプリンじゃねえ!!!と大口をたたいてしまったことに懺悔の気持ちがぬぐえずつい書き残してしまった。好きだよ、プッチンプリンも。ただ、熱の時には甘すぎて食べるのに体力が必要ってだけなんだ。しかも夫が買ってきたのは3連ではなくBIGプッチンプリンだったんだ。悪気があったわけではない。どうか許してプッチンプリン

END

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あとがき
2024年。願うことや祈ることしかできずもどかしい年の始まりでした。両親が昨夏まで富山県にいたこともあり、もしもタイミングが違ったら…と目の前に一瞬グラッと視界が暗くなる感覚に陥りました。現在は東北在住で安全な場所にいると分かっていてもこのありさま。そして何より学生時代の友人が北陸在住で、一報が入るまで気が気でなく。グループlineになんとか生きていると一報が入り、やっと安堵。私も含め、みんな祈るような気持ちで待っていたと思います。ちょうど「あけましておめでとう!」とグループlineで言い合っていたさなかの出来事でした。

「お隣の石川県は車ですぐだよ。」「北陸を出る前に行かなきゃ!」と言っていた両親。その後、輪島で器を買い、見附島を見て、朝市通りでおいしいアジの煮干しを買った…とテレビ電話で嬉しそうに教えてくれた数カ月後にこの出来事。帰省時に一緒にテレビを見ていると「出会った人たちが無事だといいな…」と母がつぶやいたのを聞いて胸が苦しくなったのを覚えています。

先の見えぬ暗闇の中お過ごしの方も大勢いらっしゃるかと思います。そんな中でも小さな幸せがどうか、一個ずつ、一個ずつ…と被災された皆様に届きますよう願っています。私にできることは限られていますが、微力ながらできることはしていきます。そして、またいつか北陸の地に行きますので、その日まで…!


@金沢駅にて

mamemichaaax7p.hatenablog.com

@富山湾岸サイクリングにて

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