密吉の備忘録

一向に整わないところで

味噌汁で優勝すればいい

昼飯が面倒くさい時には、なんでもぶち込んだ味噌汁で優勝すればいい。それが最近の昼飯のモットー。だいたい毎朝味噌汁飲んでいるのに、昼飯まで味噌汁かよ、とかそういうツッコミは不在。朝の味噌汁はちょっと薄めでサラッと頂ける「飲み物」的なポジション。昼飯のはあくまでも「おかず」としてのポジション。勝手に使い分けをしているから同じ味噌汁でも、同じじゃない。いつの間にか、そういう屁理屈ばかり思いつく26歳になってしまった。要するに、最近私が言っていることの大半は適当(良い加減ではなくいい加減の方の適当)だと思っていただきたい。

今日も今日とて昼が来て、腹は減る。主婦になり、一人飯の時間が増えた。自分のためにヨイショと重たい腰を上げて上等なものをつくるお気持ちにはなれない。でも、何かを欲している時の定番、それが味噌汁。

まな板を出すことも面倒くさいし、洗い物を増やしたくないしなぁとかなんやかんや思いながらユラユラと台所へ向かうのがお決まり。まあとりあえず、鍋を出し、いりこ(西日本は煮干しのことを「いりこ」と呼ぶ)を2匹、かつお粉をサッと入れて火にかける。別に誰に飲ますわけでもないので、出汁はその時になんとなくとればいいやという精神。さらに何も考えたくない時は、顆粒だし。(さらにさらに何も考えたくない時は、お茶漬けであったり、カップ麺であったりする日もある。)


はらわたも頭もそのまま泳がす。砕け散れば最後に拾えばいい。
(食べてもよいが私はにがてなのでそこまではしない)


そして、母が昔、「まな板出すの面倒くさいから」と鍋の上で野菜を空中切りしているのには度肝を抜かれたが、自分も同じ道をたどるとは思わなかった。キャベツは手でちぎり、人参は昨日洗い忘れたスライサーで済ます。別に汚くはないし。そうだ、死にかけの豆苗を使い切らなくてはと空中でシュパッと切り入れて完了。いや、もう少し何かほしい。やたらと豆腐が食べたくなり、半分だけパックから箸でとって崩す。ついでに、冷凍で常備しているネギと油揚げも追加。具沢山の方がおかずっぽくていいし。とか声には出さないが、なんだかかんだか頭の中でいろいろと考えながら作り進めていくので、脳内がかなり多動。さらにおかず感が欲しい時、お腹が空いている時は卵やお肉を追加するが今日は朝が遅かったのでこれでよし。とにかくあるものを適当に入れてもおいしくなる不思議。適当がいい加減の適当から「良い」加減という意味の適当になる不思議。なんかうまいこと言ってやったみたいな感じで気持ち悪いな。

ちなみに、キャベツや豆腐を適当にぐちゃっとするのは手でちぎったカステラやパンのようなもの。まな板や包丁を出すのが面倒くさいとかそういうのもあるけれど、舌に触れる表面積が大きくなるとおいしくなるんじゃないのとか、ふざけたことを考えているからでもある。


次は味噌。関東に来て、何味噌が口に合うか分からなくて、結局「ますやみそ」に依存している。(北関東出身の夫には少々甘いだろうけど、つくるのは私なので文句は言われない。)味噌って1パックがやたらと大きいからなかなか安易に他のメーカーに手出しできないのが悩みどころ。贈答用の詰め合わせではなくて、「あなたの好みはどれですか?」みたいな、超良心的なサイズ、かつだいたいどのスーパーでも手に入るような味噌の食べ比べがあれば速攻で買って試してみたい。まあ、食べ終わる頃にはどれもおいしかったな~~とかほざいたり、とかどれがどれだったか忘れたりするようなタイプだろうけども。


はい。これで優勝。納豆もつければよりタンパク質も取れるし大優勝。誰と競っているわけではないが、優勝なのです。ビクトリー。

最後の汁を飲み終える時には、よくわからんけど満足満足というお気持ちになっている。幼い頃は、人参が苦手だから噛まずに飲み込んでやろうとか、汁の下にたまった麦が苦手だからそこだけ飲まずにしれっと流そうとかそういうことばかり考えていたけれど気が付いたら人生のパートナーと化していた味噌汁。お守り的な何かになっている。まだ何十年も先の未来であってほしいけれど、棺桶に入ることがあれば、かつおの粉といりこ2匹でも入れておいてくれというお気持ち。味噌はおそらく入れられないだろうけども。

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