『自分の人生どうしたいかなあ~』
こんなことを延々と考えてしまう春。といってももう32℃を記録したとのことで夏。いや、一応、まだ春なのかな。5月だし。
さて、私は昨年ご縁があってパートナーと結婚し、のんびりふたり暮らしを満喫している。結婚式をしたいという願望もなければ(写真だけは撮りたかったので撮った)子どもが早急に欲しいとも思わない。バリキャリになれるものならなりたいけれど、バリバリ働いて家が無法地帯になったり、外食が増えたり、夫と険悪になったりするのは本末転倒なので避けたいし気力と体力的に難しい。もちろん、お金さえあればハウスキーパーでもなんでも解決できることもあるだろうけども別にそこまでして積みたいキャリアもない。だから今は、セコセコと家計を管理しながら無理のない時間で働きに出ている。これが現時点での「(あくまで)自分の中」での快適であり最適解だと思っている。そしてありがたいことに夫もそれに同意してくれているので心身・生活のバランスを保つことができている。
でも時々、自分の最適解が揺らいでしまうことがある。周囲のおめでたい話を聞くたびにどうしても聞かれるようになってしまう「あなたはまだ?」という一言。人生の岐路に立ち、選択し、いろいろなことを現在進行形で乗り越えながら生きる方々のことを素直に尊敬するし、幸せそうな姿を見て私もとても幸せ。でもつい聞かれてしまうと、私はどうしたいんだったっけなァ…と原型をとどめていた生卵の黄身と白身がかき回され、熱々のスープに投入される直前のような危うさに陥る。一度考えだしたら延々と考えてしまう自分だからこそ「私はまだ」ということをスパッっと胸張って言えるようになりたいなとも思う。自分の選択に自信をもちたいし、その選択を共に考えてくれるパートナーもいるんだから、と。ただ、この自分の考えを他人に押し付けるつもりは全くないしそうするのはお門違いなので、私の周りの人々がそれぞれ幸せであればよしだし、私も自分の幸せを大事にすればよしであり。でも、呑気に生きている私でもこんな些細なことでいろいろと考えてしまうので、人と会っても年々気軽に話せるトピックが減っていってしまうのではないか、自分は誰かを傷つけてしまうのではないかとか少し怖くなっている。どこで地雷を踏むか分からないコミュニケーション。箸が転がっても面白かったあの頃に戻れるような戻れないような、これが年を重ねるということなのかなあ、とか、まだ箸が転がっても面白いかなあ、とか考えていたらちょっとトイレに行きたくなってきたのでさようなら。